もう、来ないかもしれないな...。
彼は、多分、彼なりに必死に「食」について考えていると思うし、必死に考えているという事は、多分、いや、きっと、体のどこかが、そして、周りの何かが、おかしくなってきていることに気づいているんだと思う。
70年代以降に生まれた私たちは、生まれながらにしてハンデを負っている。
体的にも、そして、心的にも。
戦後の高度成長期に大量に垂れ流しされたとされる化学物質、環境ホルモンは、否応無く胎児だった私たちに何らかの影響を与えている可能性が高い。
農地には大量の農薬や化学肥料がぶちまけられ、これまた大量の食品添加物が入った加工食品がスーパーに平然と並べられる中、私たちは、何の疑問も持たずに農薬漬け、食品添加物漬けの「食」を食らい続けた。
本来「米食」によって DNAレベルで形作られるはずの私たちは、アメリカをはじめとする「欧米化」の流れに沿って、砂糖・油にまみれたパンやパスタやハンバーガーを喜んで食らい続け、
肉や牛乳を摂らずとも問題なく成長、維持できるはずだった私たちは、高濃度の動物性食物を「ご馳走」だと大はしゃぎで食らい続けた。
その上、流通の段階では、倫理観が全く無視された食品偽装、汚染米の転売(09/06/12現在)等が、食品衛生法の網をくぐっては私たちを欺き続けている。
幕内さんは「なぜ粗食が体にいいのか」(三笠書房)という本の中でこう叫んでいる。
「もう、人体実験は十分に結果がでた、もう、十分だ、これ以上危険な実験を続ける事はない!」
では、どうすればいいんだろう。
どうすれば、おかしくなってしまいそうな「食」から身を守ればいいんだろう。
どうすれば、おかしくなってしまった世界で、ちゃんと地に足着いて生き続けていけるんだろう。
この問いに答えるように、幕内さんは本の中で何度も何度も繰り返す。
「とにかく、何が問題かって、日本人がご飯を食べなくなった事が問題なんです。食品添加物、脂肪摂取量が云々という以前に、主食より副食の方を食べる方が「体にいい」という誤った認識が常識となってしまった事が問題なんです」
あんまりにも問題が複雑すぎて、まだ、咀嚼できない。消化できない。
でも。
このブログの冒頭でも書いたように、「土鍋ご飯」をモリモリ食べるようになってから、確かに、私の体は変化していった。
- まず、「甘いもの」や「ジャンク」への欲求がなくなった。
- 油もの、生野菜+ドレッシング、乳製品が食卓にあがらなくなったし、食べたいとも思わなくなった。
- 舌の味蕾が発達したのか、ご飯そのものが美味しく感じるようになった。それに合わせて、副食の味付けも薄味になった。
- 季節の野菜が美味しいと思うようになった。
- 慢性便秘が嘘のように治った。
- 肌荒れが起きにくくなった。
- 心が安定するようになった。
- 体と心の感覚センサーが鋭くなった(ように感じる)
そして「私自身」すら超えた、家系史、日本史、世界史、現在の政治、経済、環境の動きとも深くつながっている事に気づく。
それらを考え続けながら、それでも私は食らい続けるのだ。
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